Title: 雲形紋章(Kumogata monshou)
Author: John Meade Falkner
Translator: 林清俊(Kiyotoshi Hayashi)
Character set encoding: UTF-8
鉄道駅舎、教育施設、教会堂を建造し、著述家にして古美術商、さらにファークワー・アンド・ファークワー商会の共同経営者であるジョージ・ファークワー准男爵は、自分のことばに重みを持たせようと、事務室の椅子にそり返り、くるりと横をむいた。彼の前にはカラン大聖堂の修復工事に監督として送られる部下が立っていた。
「それじゃ、行ってきたまえ、ウエストレイ。充分気をつけるんだよ。きみが取り組むのは重要な仕事だということを忘れるな。教会もあそこまで大きくなるとさすがに『その光り、升の下に隠るることなし』(註 マタイ伝から)だ。この国家遺産保存協会とやらは、うちの会社をだしにして自分たちの存在を宣伝しようとしているらしい。アンブリ(聖器棚)とアバクス(頂板)の違いもわからぬ無知蒙昧の輩、ペテン師ども、流行を追うだけのど素人が。あの連中はきっとわれわれの仕事にけちをつけてくる。出来映えがよかろうが、悪かろうが、並だろうが、彼らにとっては同じなんだよ。とにかくけちをつけようと身構えているんだ」
その声は専門家としての強い軽蔑に満ちていたが、気を静めると、仕事の話に戻った。
「南袖廊の屋根と聖歌隊席の穹窿天井には細心の注意が必要だ。中央塔にも以前から問題があって、交差部のかなめの基柱は補強工事をしたいのだが、何しろ費用が出ない。中央塔のことは黙っていることにした。なだめるすべもないのに、いたずらに疑いを抱かせるのは意味がないからな。今やってくれといわれているのは取るに足りない作業だが、それだけでもどうやって予算のやりくりをしたらいいのやら。資金繰りのめどがついたら塔に手をつけよう。しかし袖廊と聖歌隊席の穹窿天井は急を要する。鐘は心配しないでいい。鐘枠にがたがきていて、もう何年も鳴らされていないんだ。
精一杯できるかぎりのことをしたまえ。金銭的にはあまり恵まれたお勤めとは言えないが、最善をつくすことだ。会社に利益なんか一銭もありはしない。しかしあの聖堂は有名だから、いい加減な仕事はできないよ。主任司祭には手紙を書いておいた。愚劣な男で、カラン大聖堂の管理には、貴婦人の小間使いなみにむいていないのだが、とにかく彼にはきみが明日到着すること、もしも先方がきみに会いたいと言うなら、午後聖堂に顔を出すということを伝えてある。浅はかなやつだが、あそこの法定管理者だし、修復費用調達にあずかってなかなか力があったからね。やむを得んが我慢しよう」
英国陸地測量部制作の地図ではカラン・ウォーフ、地元の人には単にカランと呼ばれている場所は、今でこそ海岸線から二マイルほど内陸部にあるが、かつてはもっと海寄りで、無敵艦隊との戦いに六隻の船を送り、その一世紀後にはオランダの攻撃を迎え撃つため四隻の船を送り出した由緒ある港として歴史に輝かしい名を残している。ところがやがてカル川の河口域は沈泥でふさがって港口には砂州ができ、海上貿易の船は他に港を探さざるを得なくなった。その後、カル川の流れはやせ細り、それまでのようにあちらこちらへ縦横に伸びるかわりに身を縮めておとなしい河川に変貌し、しかも河川としても決して大きいほうの部類ではなかった。市民たちは港で生計が立てられないことを見て取ると、塩沢を埋め立てることでなにがしかの代償が得られるかも知れないと考え、海水を防ぐために石の堤防を築き、その真ん中にカル川の流れを海に放出する水路を造った。こうしてカラン・フラットと呼ばれる低地の牧草地ができあがり、自由市民はここで羊を放牧する権利を持ち、海峡のむこう、フランスのプレサレ羊にも負けない美味なマトンを生産するようになった。しかし海は無抵抗にその権利を明け渡したわけではない。南東風や大潮と共に波はときどき堤防を乗り越え、またときにはカル川がお行儀よく振る舞うことを忘れ、内陸部に大雨があったあとなど、昔日のごとく、あらゆる拘束を断ち切って暴れた。そんなとき、上の階の窓からカランの町を眺めた人々は、誰もがこの小さな場所が再び海岸線の方に移動したのではないかと考えた。牧草地は水浸しで、堤防は内陸の湖とそのむこうの海との境界線として、目につくほど幅が広くなかったのである。
グレート・サザン鉄道の幹線はこの見捨てられた港の北七マイルのところを走っていて、外部との交通は長年、運送屋の二輪馬車が町と鄙びたカラン街道駅とを往復することで保たれていた。しかしやがてこの古い自治都市から選出された議員、有能で広く信望を集めていたサー・ジョゼフ・カルーがカラン自治体代表団を正式に組織して、交通の便をいっそう改善する必要ありと鉄道会社を説得し、支線が敷設されることになった。ただしその利便性は過去の運送屋と比べてほとんどかわりばえのしないお粗末なものだった。
聖堂の修復工事がファークワー・アンド・ファークワー商会に委託された当時、鉄道の物珍しさはまだ消えておらず、汽車が到着するとカランの町をぶらつく人が毎日儀式のように集まってきた。しかしウエストレイがやってきた午後は雨が激しく降り、見物人は一人もなかった。彼はロンドンからカラン街道駅まで三等車券を買って旅費を節約し、乗換駅からカランまでは一等車券を買って会社の威厳を保とうとした。だがそんな用心は取り越し苦労に終わった。数名の年老いた駅員が養老院に送られるようにカラン駅に配属されているだけで、他に彼の到着を目撃するものはまったくなかったのである。
彼はブランダマー・アームズという家族むけ、および商人むけのホテルが、汽車の到着に合わせて乗合馬車を運行していることを知り喜んだ。聖堂のちょうど入り口前で降ろしてくれるというから、なおのこと好都合とこの乗り物を利用することにした。彼はささやかな荷物を中に運びこむと――乗客は彼一人だったから余裕はたっぷりあった――床を覆う藁に足を突っこみ、十分間というもの、砂利道を走る馬車でなければ味わえないがたがたという振動に耐えていた。
ウエストレイはカラン大聖堂の見取り図をすべて完全に頭に入れていたものの、実物はまだ見たことがなかった。乗合馬車がけたたましい音を立てて市場の中に駆けこみ、四角い広場の南側全面を覆いつくすように聳え立つ聖セパルカ大聖堂をはじめて見たとき、彼は感嘆の声を抑えることができなかった。篠つく雨が通りから歩行者を追い払い、降ろした緑のブラインド越しに乗合馬車の通過をのぞき見る幾人かのピーピング・トムをのぞけば、市場はまるでレディ・ゴダイヴァの行進を待っているかのように少しも人気がなかった。
沛然と降る雨、屋根の上に砕け散り霧のように広がるしぶき、地面から立ち昇る水蒸気、それらがあらゆるものに目に見えない、けれどもそれと分かるヴェールを被せ、舞台に用いられる紗幕のように輪郭をぼやけさせた。それを通して浮かび上がる大聖堂は、ウエストレイが想像の中で思い描いたどんな姿よりも遥かに神秘的で荘厳だった。馬車はすぐに鉄の門の前に停まった。そこから境内を抜けて北側ポーチまで板石敷きの小道がついていた。
御者がドアを開けた。
「ここが聖堂です」と彼は言わずもがなのことを言った。「ここで降りるんでしたら、荷物はホテルにお届けしておきます」
ウエストレイは帽子を深くかぶると、外套の襟を立て、入り口めがけて雨の中に飛び出した。小道に敷かれた墓石のくぼみに深い水たまりができていて、急いでいた彼はポーチに着くまでに服に水を撥ね散らかしてしまった。巨大な扉口にくぐり戸があり、彼はそこにかかる革の
まだ四時ではなかったが、空は雲に閉ざされ、建物の中はすでに薄暗くなっていた。聖歌隊席で話をしていたひとかたまりの男たちが入り口の音に振り返り、建築家にむかって進んできた。領袖格は中年を過ぎた聖職者で、ストックタイを首に巻き、若い建築家のほうに歩み寄ると挨拶をした。
「サー・ジョージ・ファークワーの助手の方ですな。いや、助手のお一人と言い直すべきでしょうね。サー・ジョージは多彩なお仕事をこなすのに、きっとあなた以外にも助手をお使いでしょうから」
ウエストレイは同意を示すように頷き、聖職者は話しつづけた。「自己紹介しますと、わたしは参事会員パーキンと申します。わたしのことはきっとサー・ジョージからお聞きでしょうが、この聖堂の主任司祭として格別のお付き合いをいただいております。あるときなどサー・ジョージはわたしの家にお泊まりになりましてな。若い方があのように有能な建築家のもとで修業できるというのはまことに誇りに思うべきことですよ。あとで今回の修復工事についてサー・ジョージがお考えになっていることを大まかに、ごく手短に説明しますが、